安倍晋三新総裁登場について思うこと
2006年 09月 21日
お父さんの晋太郎は外務大臣をやられていることでも有名ですが、おじいさんの寛(かん)氏も衆議院議員として活躍された方だそうです。
ちょっと略歴を調べてみますと、
1894年、山口県大津郡日置村出身の生まれで、安部家は当時醤油醸造業、酒造業等を営んでいました。東京帝国大学法学部を卒業後日置村長などを経て、衆議院議員に当選。大政党の金権腐敗を糾弾するなど、清廉潔白な人物として知られていました。大変に人気が高く、「大津聖人」「今松陰」「昭和の吉田松陰」と呼ばれていたという、いわゆる“ハト派”であり、第二次世界大戦中の1942年の翼賛選挙に際しても非推薦で出馬当選したつわものです。
戦後第一回の総選挙に向けて準備していたさなか、直前に心臓麻痺で急死してしまいました、1946年のことです。
長男の晋太郎氏が後継者という事にはなるが、政治家として晋太郎が国政の場に立ったのは、寛の死後12年経ってからの事です。非常な人格者として知られ、晋太郎と娘との結婚話が持ち上がった岸信介が、「大津聖人の息子なら心配ない」と語ったといわれるほどの人物だったそうです。
“タカ派”の印象が強い、晋三氏ですが祖先は、“ハト派”の大御所です、この先どのような政策を打ち出していくかわかりませんが、このようなお爺さんの功績は十分理解されていると思いますので、今までとは違うNew「安部晋三」が見られるかもしれませんね。
自主憲法制定、教育基本法改正など、ドラスティックな言葉が先行している、安部さんですが、個人的には26日以降の国会がちょっと楽しくなってきました。